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他人に指示をされるのが嫌だったとある少年の話

 

 昔から他人のアドバイスを素直にきけなかった

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遡るは小学生時代。

少年はサッカーを習っていた。2年生の頃だった。

 

毎週土曜日の午前中が練習の日で、習い始めてから取り憑かれたようにハマっていった。

 

1年が経ち、小学3年生になった少年はスポーツ少年団に入団し、本格的にサッカーを習い始めた。

少年が入団する前からずっとやっていたお兄さんたちは、目標であった。

 

「どうやって相手を抜いたんだろう」

「なんであんなシュートが打てるの?」

 

そんなことばかり考えて、そんなお兄さんたちに追いつくために必死に練習した。

 

練習以外の時間もサッカー中心の生活が続き、気づいたら選抜チームの一員に。

高学年になると、「そこそこ」名の知れた選手となり、目標にされる側になった。

 

当時のスポーツ少年団のコーチたちは手を焼いただろう。

なんせ、選抜チームの一流のコーチの元で練習を積んでくるのだから。 

 

必然的に、少年団のコーチたちの指導は、

「この方法もあるよ」

「いつも通りのプレーでいいよ」

というようなものになっていた。

 

そんなうちに、「オレのプレーは正解だ」なんて的外れな勘違いをするようになっていた。

今考えると、この経験が全ての始まりだった。

 

中学時代。

少年の長く伸びた鼻はへし折られた。

当時の顧問も、先輩も、中学選抜チームのコーチも、甘やかしてはくれなかったのだ。

 

それが普通だったのだが、当時の少年は受け入れられなかった。

精神的にもまだまだ幼かった少年は受け入れられなかった。

 

当然、プレーの指導も

「なんでそんなことするんだ」

「お前が下手だから言ってんだろう」

というようなものだった。

 

 

特に試合でのプレーでは、監督に対して反抗的な態度が目に見えて増えた。

自分のプレーに絶対的な自信があったからだ。

 

「あんたがそう思っても俺は違う」

 

そう思いながらプレーしていた。

 

悪循環は続いた。

練習中のコーチのアドバイスも聞かず、自己満なプレーばっかり目立つ。

 

「プレーするのは俺だろう。なんで外で見てるだけのあんたに指図されなきゃいけないんだ」

 

“あんたのアドバイスは聞く。

だけど最終的に判断するのは俺。”

 

そんな生意気な少年だったのだ。

 

「それがやりてえなら、てめぇでやれ。」

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中学、高校とプレーするのは俺だからどうするかは俺が決めるというスタンスだった少年は社会人になってからも苦労した。

 

社会人になりたての頃は、自分の意思などなく言われたまんまのことをその通りにやっていた。

 

そこにあの頃のような自分の意思など微塵もなかったのだ。

 

明らかにおかしいことでも逆らわずに遂行する。

まるでロボットのように感情などなくひたすら動く社畜マシンだった。

 

そんな環境で働くこと約1年。

なぜか少年は人間の心を取り戻した。

 

「そもそもなんでこの仕事をやってるんだろうか。上から言われたことをただやってるだけなのは俺の仕事じゃなくて上司の仕事を代わりにやってるだけなんじゃないか」

 

そんな想いがふつふつと湧き上がってきたからだ。

 

それから間も無くして会社を辞め、少年は職を転々とした。

 

上司の仕事を遂行するロボットではなく、自分がやりたいことを自分の意思でやろうと決めた少年はどの職場でも上司とぶつかった。

 

どこでも共通してたのが、「現場を知らない名ばかり管理職がなぜ実際に現場に立ってる人に指図し勝手に方向性を決めるのか」という疑問であった。

 

“俺はあんたのやりたいことを実現するためのコマじゃねえ。

それがやりてえんだったら、てめぇでやれ。”

 

それがあの頃の少年が成長した姿だった。

まるで、自分のプレーに絶対的な自信があったあの頃の自分を見ているようだった。

 

“言われるがままに”の難しさ

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小学生の頃から他人のアドバイスや指示なんて聞きもしなかった少年は、自分がやる行動に口を挟まれるのが1番嫌いだった。

 

社会人になりたての頃のような、「はい」としか言わない社畜ロボットになることの恐怖心

 

自分は誰のコマでもない1人の自立した人間だという自尊心

 

この2つの心が、他人の言うことを聞かない自分に拍車をかける。

 

「お前はここにいろ」

「あれをやれ、これをやれ」

「それはダメ。こうしろ」

 

そんな言葉は少年にとって戯言だった。

 

繰り返しになるが、なぜ俺の行動を他人のあんたが決めるのかが理解できないのだ。

 

あれこれ口出しするあんたにも何かしらの自尊心があるんだろう。

 

もう、あの頃の社畜ロボットではない少年は誰かの言いなりになること自体に嫌気がさしていた。

 

あの頃は簡単だったのに、今では言われるがままに行動するのが難しくなっていた。

 

指示されたことをやることに何の面白みも感じない

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無感情の社畜ロボットであれば、何にも感じないから問題はない。

だが、少年は無事に人間に戻ることができた。感情もある。

 

ただ言われたことだけをやるのは苦痛に感じるようになったのだ。

 

なぜ、その行動なのか。

なぜ、その言い方なのか。

なぜ、その優先順位なのか。

 

キリがないが物事の一つ一つに理由を求めるようになった。

 

だが、周囲の人間はそこまで深くは考えてはいない。

 

何をやるにしても、なんでそれをやるのかを自分自身で考えて行動することに意味があるのだ。

 

サッカーに夢中だった小学生時代と一緒だ。

「最終的にやるのは自分」

それは社会人になってからも同じであった。 

 

そしてこれからもそうだろう。

 

きっと少年はずっとそうだろう。