「普通な自分が嫌」と思っていたけどそんな自分に納得した
どうも。しばたです。
僕は昔からずっと自分に何の魅力も何の取り柄もないと思っていた。
これと言って何か得意なことがあったわけでもないし自慢できるようなスキルもない。
おまけに周りに流されやすく自分の意思を通すということもしてこなかった。
小学生の頃にサッカーを始めてものすごく楽しかったし練習も頑張ったけど、そんな僕よりも上手な選手なんかそこら中にいた。
(実際、自分より上手な人がいるなんて中学生になるまで思わなかった。)
芸術の才能があるわけではない。(中学生の頃、美術は3年間ずっと3)
音楽なんて音符すらろくに読めない。
そんな自分と20年以上向き合ってきたけど、最近は普通な自分でもいいかと思うようになってきた。
昔から何をやっても普通で何かに秀でているわけでもない自分に納得できたのはなぜか?
普通であることを自覚する
小学生の頃、サッカーの練習をしていて「お前にしか出来ないことをしなさい」「らしさを出せ」とか言われてきた。
さらに高校生になるとそんな「自分らしさ」だけでは戦えないことも知った。
よくよく考えてみたら、自分には突出した何かがなく何をしても平凡だった。
サッカーを引退し、社会人になると普通であることが悪であるかのようなことを思わせる毎日だった。「お前には何ができるんだ」「得意なことは何だ」「なぜそんなことも出来ない」「生産性が低すぎる」などなどむしろ普通じゃなかったのかもしれない。
そんなことばかり言われていた毎日だったから、常に自分とは何かを考え続けた。
「何が得意なんだろう」
「他人よりも優れているものがあるはず」
「個性って何だろう」
考えても考えても答えは出なかった。
でも、考えているうちに
「普通の何が悪いんだろう」っていう思いが強くなった。
もちろん、何かに秀でていて損はないし(むしろ得ばかり?)
素直に羨ましいと思う。
けど、みんながみんな何かに秀でていなければいけないわけではないし、何十億人いる人間で個性がない人なんかいない。
普通であることも十分個性の一つだろう。
そんなこんなで普通である自分がどこか好きになり
普通である自分が誇らしくなってきた。
普通で何が悪い
毎日毎日そんなことを考えていた結果、
普通であることを誇らしくなり何もかもが普通であるから
チャレンジ次第でいくらでも開花する可能性があると変な自信も出てきた。
それでもやっぱり社会は普通を嫌がる。
だけどよく考えてみると、
全世界には「普通にすらなれない」人たちもたくさんいる。
洋服も満足に揃えられない。
その日に食べる食べ物すらちゃんと用意できない。
夜は電気がない真っ暗なところで過ごす。
そして夜安心して寝れないこともある。
日頃のニュースやネットをみるだけでも
これだけ普通とはかけ離れた生活をしている人たちがいる。
大げさかもしれないけど、そんな人たちがいる中で、
今の自分はそんな人たちにとって十分普通じゃないんだろうなって思った。
普通だからって悲観的になるのはやめた。
普通だからこそ吸収できるものはたくさんある。
普通であるが故の自信
普通であることを誇りに思い始めてきてから、
今まで興味すら湧かなかったことにもチャレンジし始めた。
そうなると、強い。圧倒的に。
いろんなことにチャレンジするうちに
根拠のない自信が湧いてきた。
それは、「他人よりも優れている」という感覚よりは
普通だってできることはあるという感覚に近い。
できないことを悩んでいるより、
質は低くてもまずやってみる。
やることを繰り返すことによって
それが自分の好きなことになって
特技になってより強い個性になる。
武器にすらなりうる
普通であることを自覚して受け入れてしまえば、
あとは、どんどんチャレンジするだけ。
そうすれば、自分の武器が増えてくる。
それがあなたの個性になる。
つまり、普通って最強。
何も取り柄がなく普通の人間だと思っている人達は、
周囲にいる普通の友達とどんどん話をする。
普通であることを自覚する仲間が増えれば
そこから普通じゃないアイディアがどんどん生まれる。
そうすれば、「普通な自分が嫌」と思うことはなくなり、自分が好きになるでしょう。